さもありなむ、さもあらざりしならむ

a0091515_66876.jpg高橋和巳 『高橋和巳作品集4』 (河出書房新社)

今年のゴールデンウィークは家に籠ってひたすら『邪宗門』を読んだ。高校時代以来の再読。
著者が「あとがき」で述べているように「すべての宗教がその登場のはじめには色濃く持っている、〈世なおし〉の思想を、教団の膨張にともなう様々の妥協を排して極限化すればどうなるか」と言う夢のような物語だ。
やはり若い頃に読んだ強烈な印象と違い読んでいる自分が醒めているのを実感した。それは過ぎた歳月から来る諦めなのかも知れない。
さて、クライマックスの蜂起がなく別のエピローグとしたらどうなったのだろう。つまり蜂起ではつまらく感じてしまったのだ。もっと違う形の違う提起はなかったのだろうか。
あと、千葉潔と小窪阿礼の契機が共にさすがに弱い。だからこそ弱いゆえの蜂起ではない結末が見たかった。
ここでもやはり現地の風景を見てみたい欲求に猛烈にかられた。「ひのもと救霊会」は「大本」を模して創造されたのだがその舞台となった聖地綾部(作品では神部)へは京都駅から山陰本線「特急はしだて」で1時間5分で着く。作品中に蚕産工場の場面が出て来るが昔から絹織物で有名で繊維メーカー「グンゼ」(「郡是」)の創業地でもある。行ってみよう。


P.S. 映画の観点から見て巻末の吉本隆明「新興宗教について」の中の「あいまいさと多義性」の記述がとても興味深い。新興宗教とは女性が必ず教祖であるとするならば映画監督は女性の仕事であると言おう。新興宗教は必ず国家と対立すると言う定義も満たす。

P.S. この本は当然新刊本ではなく古本屋街を歩いても見つからずネットでやっと1冊だけ見つけて入手したもので、多分過去に2,3人のひとが読んだ形跡があり何種類かの線などが書き込まれているのだがその線を引かれた部分がとても興味深いしそうした経緯を持つ古本に余計に愛着を覚える。よって僕もその上からまた線を引く。いつか誰かの手に渡り何か感じてもらえることが出来るように願って青い線を引く。
by costellotone | 2012-05-05 06:11 | 読書 | Trackback | Comments(0)
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