啦啦啦我们的好伙伴

a0091515_137175.jpg矢作俊彦 『ららら科學の子』 (文春文庫)

1970年夏。高校生の僕は一人で東京へ遊びに来た。路面電車が未だ走っていて東京駅から御茶ノ水まで乗ったのだが、高校卒業後、映画の学校に入るために上京した際には都電はほとんど廃止されていた。女の子が井の頭線の池ノ上に住んでいて駒場東大前を通り学校のあった渋谷橋を越え広尾辺りへは歩いて行った。その後「アオイスタジオ」に仕事で行くようになって六本木から麻布十番辺りも知った。
舞台となった場所はよく覚えている。
今年開業した「渋谷ヒカリエ」の前に建っていた「東急文化会館」の映画館には学校の帰りによく行ったものだ。渋谷駅からの連絡通路に立ち喰いそば屋があってそこで食べてから映画を観た。狭いエスカレーターの前にとても小さなアクセサリー屋やプレイガイドがあったっけ。観終わった後は必ず階段で下りた。映画館の前にあったガラス張りの喫茶店でよく待ち合わせをした。このビルの裏にあった「山下書店」でも時間をつぶした。そして「五島プラネタリウム」のナレーション。「太陽が今日も西の空に沈もうとしています。渋谷の街を夕暮れが染めて行きます」そんな風景を幾度見たことだろう。
去年、東急世田谷線(玉電)に三軒茶屋まで乗り渋谷まで歩いた。子供が小学校に上がる前お台場へ連れて行った時には未だ「フジテレビ」は建ってなかった。『猫のゆりかご』も『スローターハウス5』も読んだからドレスデンの空襲のことは知ってる。あん時「池袋文芸坐」のオールナイトで観たのは石井輝男監督の『東京ギャング対香港ギャング』だ。白金台の写真館でソーメンをいただいたのは1982年。辺りに苺を煮ている甘い匂いを漂わせているのは「MOROZUMI-JAM」だ。  
まったく「浦島太郎」だよね。否、「革命的敗北主義」ってやつさ。

P.S. 想い出した。ここの5Fの「渋谷東急」で最後に観たのは宮崎駿『魔女の宅急便』だった。
by costellotone | 2012-07-18 13:18 | 読書 | Trackback | Comments(0)
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