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レコード棚から-24

サザンオールスターズ - 熱い胸さわぎ(1978)

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 僕が小学校に入学したのは1960年だった。
 1960年、水原弘「黒い花びら」、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」。1961年、島倉千代子「恋しているんだもん」。1962年、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、橋幸夫・吉永小百合「いつでも夢を」。1963年、ザ・ピーナッツ「若い季節」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」。1964年、都はるみ「アンコ椿は恋の花」、薗まり「何も言わないで」。1965年、和田弘とマヒナスターズ・田代美代子「愛して愛して愛しちゃったのよ」、菅原洋一「知りたくないの」。1966年、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、西郷輝彦「星のフラメンコ」、青江三奈「恍惚のブルース」。1967年、中村晃子「虹色の湖」、荒木一郎「いとしのマックス」…。
 1965年、ベンチャーズ「ダイアモンド・ヘッド」、ビーチ・ボーイズ「カリフォルニア・ガールズ」。1966年、ホリーズ「バス・ストップ」。1967年、「モンキーズのテーマ」、スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」。1968年、1910フルーツガム・カンパニー「サイモン・セッズ」、ステッペン・ウルフ「ワイルドで行こう!」。1969年、クリフ・リチャード「しあわせの朝」、ホセ・フェリシアーノ「雨のささやき」。1970年、ショッキング・ブルー「ヴィーナス」、B.J.トーマス「雨にぬれても」…。
 そしてこれらの中にビートルズと加山雄三とグループ・サウンズが入り乱れて流れていた。
 アンテナ線をカーテン・レールにくっつけてチューニングをしながら雑音だらけのラジオを聴いていた。FM放送は始まったばかり。小さなネジ式の器具を文字盤に止めて時間設定をするオーディオ・タイマーで、オープン・リール・テープに録音した。
 テレビには木製の観音開きの扉が付いていて、床の間や仏壇の横に置かれていた。
 「明星」や「平凡」の付録の歌本を親戚のおねえさんから貰って歌詞を憶えては歌っていた。買った洋楽のレコードの歌詞を、辞書を片手に一生懸命に訳した。
 「S盤アワー」、「アメリカントップ40」、「ナベサダとジャズ」、「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」、「サウンド・オブ・ポップス」、「軽音楽をあなたに」、「日立・ミュージック・イン・ハイフォニック」、「バイタリス・フォーク・ビレッジ」、「ジェットストリーム」、「ダイヤル・リクエスト」、「Sound with Coke」…。
 「ザ・ヒット・パレード」、「勝ち抜きエレキ合戦」、「ザ・モンキーズ・ショー」、「シャボン玉ホリデー」、「ロッテ歌のアルバム」、「ヤング720」、「夜のヒット・スタジオ」、「ベスト・ヒット・USA」、…。
 初めてサザンをテレビで観たのは『ザ・ベストテン』で、桑田佳祐が短パン姿で「勝手にシンドバッド」を絶叫していた。すぐにこのLPを買ってカセットに録音し、仕事場で流しっぱなしにしてひんしゅくを買った。とにかくその時点で初めて同世代の音楽を獲得した気がした。
 このアルバムの最後に収録されている「今宵あなたに」が好きだった。「寄る年波に恥じらいさえも忘れそうなほど 凍てついた夜に間違いさえも起こしそうな恋」と言う歌詞が妙にしっくりと理解出来たし、「あなた悲しや天ぷら屋 だけども 素肌負けないでBaby」も何故か理解出来た。
 
 あれから30年が過ぎようとしている今、FM「Nack5」の小林克也『ファンキー・フライデー』を楽しみに聴いている。(もちろん今日も。)ノラ・ジョーンズの後にモー娘がかかり、その後で八代亜紀の「あぶったイカがいい」と続く世界はもろ桑田佳祐。

P.S. 最近出版された中山泰樹『クワタを聴け!』を読んでいるところです。「怒涛の全曲批評!!」ですゼ。
by costellotone | 2007-03-16 14:29 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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