レコード棚から-28

CARMEN MAKI & OZ- LIVE (1978)

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 何時かのブラウン管の中、「紅白歌合戦」に出て暗い歌を歌っていた長い髪の少女がシャウトしたのを見た。それもジャニス・ジョプリンを彷彿とさせるきれいに伸びるバイブレーションのかかった声で。
 カルメン・マキは渋谷にあった劇団「天井桟敷」の女優で、1969年にヒットした「時には母のない子のように」などは劇作家・詩人・俳人・歌人・監督・競馬評論家である寺山修司が作詞をしていて、「山羊にひかれて」や「戦争は知らない」なども有名な歌手。当時僕が1番好きだったのは「東京はみなしご」と言う歌。「東京は私生児 ひとりぼっちの名前 みなしごたちが舟を浮かべた アルミニュームの湖 」と言う歌詞だったのを憶えている。
 で、この暗い歌の世界は以後、浅川マキ、りりィ、日吉ミミ、森田童子、と受け継がれ、中島みゆき(と研ナオコ)に流れ、(演歌ではない)昭和歌謡曲史のダーク・サイドを形成し、今もある。
 ロックに転向してギターの春日博文等と結成した「OZ」のデビュー・アルバムが出たのが1975年。この1st.を聴いた時、やっと日本語のロックが誕生したと思った。それ以前に「はっぴいえんど」が日本語ロック論争を内田裕也としていたが、「ロックとはツェッペリンである」と頑なに信じていたから、はたして「ゆでめん」はロックなのか僕には疑問だったのだ。しかし「OZ」は完璧にロックだったし、ロックであることを譲らなかった。あくまで硬くて重いリズムが刻まれ、低音が唸り響き、ビートの宙をこれ見よがしにディストーションするギターが舞い、聴いている身体と頭が上下に揺れた。それこそがロックの王道と言うものだ。
 描かれる詞の世界もドラマチックな作りで、作詞は殆どが加治木剛。この名前のイメージ通り、厳密に選ばれた言葉だけを並べ、ディープかつハイ・テンションな、しかし時に切ない世界を構築していた。この作詞家、後にダディ竹千代様だったと解って余計素敵に思えた。そう、オールナイト・ニッポンのDJの。そう、おとぼけキャッツです。東京おとぼけCATSの。
 1曲がとてつもなく長いのも、ロックを重く、かつ劇的なものにイメージ付けている特徴でした。ライブでは10分以上の曲が次々と続きました。
 3枚のアルバムを出して「OZ」は解散するのですが、このライブ・アルバムは、ジミヘンばりの「君が代」から始まり、1st.から「午前1時のスケッチ」、「六月の詩 」、「Image Song 」、「私は風 」、2nd.から 「崩壊の前日」、「 閉ざされた町 」、3rd.から「とりあえずロックンロール」、「26の時」、「空へ」と言う、極めてベスト・アルバム的な選曲です。ラスト・チューンはやはり「私は風」。途中、聴衆に歌わせておいて、「シビアー」と言う彼女の声がとてもかわいかったです。
 オリジナル・アルバムには収録されていなかった、大好きだった「嘆きのチャールストン」のライブ・ヴァージョンも聴きたかったし、「南海航路」も「昔」も聴きたかったのですが。
 今は、マキOZは永遠です、と言うだけです。
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P.S.1 ちなみに「私は風」は、「にっかつロマンポルノ」の小沼勝監督『OL官能日記・あァ!私の中で』のラスト・シーンに延々と流されています。出来ればこの曲が流れる、大傑作『性と愛のコリーダ』を観てみたかった。(実はその企てもあったらしいのですが。)
P.S.2 カルメン・マキが後日「ヴァニラ・ファッジ」のドラマー、カーマイン・アピスと組んだ時には驚きました。僕が最初にハード・ロックの洗礼を受けたのは「ヴァニラ・ファッジ」でしたから。
P.S.3 「お前なんか嫌い 甘い甘い声で」と始まる歌は何と言う歌だったのでしょうか。マキではなかったっけ?

self-comments
♪ 「お前なんか嫌い」で始まる曲はやはりカルメン・マキで、「思い出にサヨナラ」でした。岩谷時子作詞、いずみたく作曲。
♪ ずっと「東京はみなし児」の作詞も寺山さんだと思っていたのですが違いました。いまいずみあきらと言う方でした。新谷のり子の「フランシーヌの場合」を書いた作詞家で、両方とも作曲は郷伍郎。ちなみにいまいずみあきらは民主党の議員とは当然別人です。

by costellotone | 2007-05-07 13:07 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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