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失われたボールをもとめて

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失われたボールをもとめて_a0091515_1245367.jpg塩田明彦監督 『カナリア』 2004
石田法嗣 谷村美月 西島秀俊 甲田益也子 りょう


こう言う映画作りをしていて何の意味があるのかと問われる題材なのに全く気づいていないようだ。だいたい「我は全てを許す者なり」と子どもに言わせてどうするのだろう。
バブル期に蔓延したカルト、自己啓発セミナーは当然求道的、禁欲的な教義、訓戒があるのだが反面現象面で不潔さ、だらしなさが目立っていた。この映画の中でも黴の生えた供物が一瞬出て来るがもっと汚い、臭い、埃っぽい状況を細部に渡って描かないと絶望的な問題は浮き彫りにされて来ない。何故現実の潔癖なことがらが蔑ろにされて行くのかを考えないとインスタントでコンビニエンスなものにはまってしまうのかの答えが出て来ない。
こころの中にぽっかりと口を開いている巨大な空虚を言葉によって満たそうとするのは子どもよりもアイデンティティーを確立出来ないでいる大人だ。(カルト、セミナーに流れたひとたちの中に「個人名が出ることのない」クリエイターや技術者、研究者が大勢いたのはそれなりの理由があったのだろう)だから主人公のような子供たちよりも先に社会復帰した大人たちの方にはまる原因を求めなければならない。子どもたちが手をつないで一本道を歩くこの終わり方では何も見えない。
突如レズが登場した時には何かしら自我に関わるヒントがあるかと期待したがもっと効果的な使い方はなかったのだろうか。

by costellotone | 2010-01-25 12:59 | 映画 | Trackback | Comments(0)
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