全ての映画は既に撮られてしまっており、自分たちが為し得るのは過去の映画の引用と反復でしかない。

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a0091515_5231141.jpg黒沢清監督 『トウキョウソナタ』 2008
香川照之 小泉今日子 小柳友 井之脇海 井川遥 津田寛治 役所広司


僕が編集していた頃の黒沢清の作品は、違和感と言う蜻蛉の羽のように透明で薄い膜で覆われた空洞があって、その膜は今にも剥がれそうだった。僕の仕事はその膜をぶるぶると震わせることだった。それ以降の彼の作品は膜が固くなってしまい中の空洞も自由さを奪われて老化して行ったようだ。しかし今回観たこの映画は再び膜が活性化して、より薄く小刻みに震えている。そして肝心なのは中の空洞が単なる空間ではなく生きる人間が動き廻る社会と言うものに変容していた。
危惧するのは、先日観た青山真治監督『東京公園』の印象と同じなのだが、社会と言うのは意味のあることなのでとかく物語が見えてしまう。これははたして両監督にとっていいことなのだろうか。僕はつまらない気がするのだ。魂の再生なんてものに関わらない方がいい。両監督の映画は見えてしまわない気配だけの方が魅力的かと。

by costellotone | 2011-09-17 05:25 | 映画 | Trackback | Comments(0)
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