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映画は「まとめ上げられる」ものであって「送られる」ものではない

映画は「まとめ上げられる」ものであって「送られる」ものではない_a0091515_1345817.jpgシーモア・チャトマン 『小説と映画の修辞学』 (水声社)

言語学とか物語学とか頭が痛くなるが表題から義務感で読み進める。「テクスト」と言う文字を見るだけで高校時代の「アンチ・ロマン」の頃から脇へうっちゃりたいのは変わらない。ましてやロシア・フォルマリズムなんて知らないし。
それでも求めていた文章には辿り着いた。デヴィッド ボードウェルへの言及で「スクリーンとラウドスピーカーから流れ出てくるさまざまな手掛かりから、知覚から認識にいたる精神的な営みの全領域に及ぶ複雑な仮説を通して、観客は物語を「構築する」のである」
これは「作り手が映画で物語を語るのではなく、観客に物語を作らせる」と言うことと同意ではないかと合点する。そして「仮説を通して」が観客ひとりひとりの個人的な過去をことごとく参照にしていると考えるのだ。
他にもいろいろなヒントが発見出来て興味深い。「映画的語り手」だけでなく「内包された作者の擁護」なども目からウロコ。
ボードウェルの著作も読まなければとは思うが、でもやっぱりアッタマ痛い。だってシュジェートがファーブラを「配列」してテクストを作るのだから。

by costellotone | 2012-03-22 13:50 | 読書 | Trackback | Comments(0)
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