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私の青空

2007 6 23

多分近いうちに忘れてしまうと思うので、
篠田さんの想い出をふたつ。

利重剛監督の『ZAZIE(ザジ)』の編集をしていた時だから1989年。
石井聰亙監督が『THE MASTER OF SHIATSU 指圧王者』の撮影を大泉の東映撮影所で行っているので、利重監督に誘われていっしょに差し入れに行った。
この摩訶不思議な短編映画のカメラマンが篠田さんだった。
撮影所へ行くと、石井組のセットの前で篠田さんは何故かバーベキュー・セットで焼肉を焼いていた。セットの中に入ると、巨大な人体内部のオブジェが組まれていて、スタッフが入り乱れて動き回っている。助監督が「本番行きまーす」と叫んでいたが、それでも篠田さんはニコニコしてテキパキと外で焼肉を焼いていた。
セットの中へ焼肉のいい匂いが入って来た。巨大オブジェもクレーンも揺れていた、変な現場だった。

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1991年に漫画家の大友克洋 が『ワールド・アパートメント・ホラー』と言う映画を監督した。この作品のカメラマンが篠田さんで僕が編集だった。
どう言う経緯だったかは想い出せないが、吉祥寺の南口のガード下にある狭い焼き鳥屋さんで、大友監督と篠田さんと3人で飲んだ。大友さんの漫画『童夢』をいかにして映像化しようかと篠田さんと大友監督は真剣に話し合っていて、確かシベリアかブラジルでロケをしようと言っていた。だんだんと具体的な撮影プランの話になって、ついて行けなくなった僕は近くに住んでいた監督の福岡芳穂を呼び出した。
明け方僕たちはタクシー乗り場に並んだ。
先週吉祥寺の「ユザワヤ」へ買い物に行ったのだが、あの時の焼き鳥屋さんは閉店していた。

それだけ。
by costellotone | 2007-06-23 13:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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