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ニコラス・ハイトナー監督 『クルーシブル』 1996年 アメリカ ダニエル・デイ=ルイス ウィノナ・ライダー ジョーン・アレン ポール・スコフィールド 魔女裁判による集団パニックを描いた映画なのだが、とりあえず来年5月から導入される裁判員制度を考えてしまう。 よくアメリカ映画に見られる法廷劇の中での陪審員による審議はプレゼンと同じで巧みな話術とパフォーマンスによっていかにうまくオーガナイズするかにかかっている。それはストーリーテラーとエンターテイナーの舞台でありコンセンサスを左右するネゴシエーターの影もちらほらする。大統領選挙も似たようなもの。 所詮言葉なのだ。洗脳なのだ。解釈などいかようにも出来る。 僕が裁判員に選出されたら全ての審議を無条件で無罪と判断する。卑怯者で結構。 召使メアリー役のキャロン・グレイヴスの熱演は憶えておこう。 P.S. アメリカの陪審員制度と日本の裁判員制度の一番の違いは審議・判決に裁判官(裁判員ではなくプロの裁判官)が参加するかどうか。有罪か無罪かの決定までか、刑の量まで決定か、であるらしい。日本の場合は審議・判決に裁判官が参加する。量刑まで決定する。(付け加えれば裁判員制度は「無作為」に選出され「事件ごと」の任期)
by costellotone
| 2008-11-17 11:17
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